「え……ええ、分かりませんよ、あなたの気持ちなんか! 私にとっての姉は悲しむべき存在じゃなく、忌むべき、憎むべき存在ですから!!」
 舞の叱責に一瞬怯んだ栞だったが、すぐさま立ち直り、買い言葉に売り言葉という感じに自らの姉を引き合いに出し、舞先輩を中傷する台詞を吐いたのだった。
「さようなら! あなたのような人でなしに相談を持ちかけた私がバカでした!!」
 そう捨て台詞を吐き、栞は屋上から立ち去った。
「し、栞ちゃん、待つんだ!!」
 このまま栞を帰しちゃいけない。直感的にそう思った俺は、胸の苦しみを必死に抑えつつ、栞を追い駆けようとした。
「ゴメンなさい……」
「えっ!?」
 力のない弱々しい抑揚で謝罪する声が聞こえ、俺は声に反応するように後ろを振り向いた。
「ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい……」
 そこには膝をつき、顔面を掌で覆いながら泣きじゃくる舞先輩の姿があった。
「あの娘を助けてあげたい……。でも、多分私の力じゃ無理……。それに、あの娘を助けようとしたら、また祐一に拒絶されちゃう……」
(えっ!?)
 栞を助けようとすると、俺が舞先輩を拒絶する。バカな、そんなことあるわけない……。仮に舞先輩が栞を救ってくれたら、寧ろ俺は大手を振って舞先輩の行為を称賛するはず。
(あっ……!?)
 俺は決して舞先輩を嫌いになったりしない、だから栞を救ってくれ。そう喉元まで出かかった時、俺は嫌なことを思い出した。



「何であの時僕を助けてくれなかったのに、そのお姉ちゃんは助けるの!? お姉ちゃんなんか、大っキライだーー!!」



 ああそうだ、あの時俺はハッキリと言ったじゃないか……。本心ではないにせよ、明確に舞先輩に対し拒絶の態度を示した。きっとあの時舞先輩は、佐祐理さんを“救おう”としていたんだ。でもそんな舞先輩に対し、俺は一種の嫉妬とも言える感情をぶつけてしまった。
 舞先輩は今も引きずってるんだ。あの時の俺の言葉を……。
(どうすればいい、どうすればいいんだ俺は……)
 あの時のことを必死で謝罪して舞先輩の傷付いた心を癒し、そして栞を救ってもらえばいい。きっとそれは最善の策だ。俺が上手く取り繕えばことはすべて上手く行く。
 さあ、舞先輩に謝ろう。あの時の自分はどうかしてた、舞先輩が栞を救おうとしても、俺は決して舞先輩を嫌ったりしないって……。
 でも……でも、本当にそうなのか? 本当に俺は舞先輩が栞を救おうとしても、嫌ったりしないのだろうか……?
 ダメだ、自分の気持ちに自信が持てない……。あの時は佐祐理さんを看病していただけで俺は激しい拒絶感を抱いたのだ。もし、それ以上の行為を舞先輩が行えば、俺はあの時以上の嫌悪感を舞先輩にぶつける気がしてならない。
 そうなれば、栞は救われるかもしれないが、その代償に舞先輩の心はズタズタに引き裂かれることだろう。俺のせいで今以上に舞先輩を傷付けてしまうかもしれない。そう思うと、怖くて怖くて俺は舞先輩に謝罪の声をかけることができなかった。
「助けて、助けてよぉ、お姉ちゃん! “舞花まいか”はどうすればいいの……!?」



第弐拾四話「笑顔の向こう側に」


「ま、舞先輩!」
 今はまだ謝罪の言葉をかけられない。でも、亡き姉に助けを乞う舞先輩の心を少しでも癒さなければならないと、俺は舞先輩に声をかけようとした。
「舞、大丈夫?」
 けど、俺が駆けつけるより早く佐祐理さんが駆け付け、舞先輩を優しく介抱した。
「祐一さん、舞のことは佐祐理さんに任せてください。ですから祐一さんは、栞さんの所へ行ってください」
「えっ!?」
「佐祐理には分かります。今の栞さんは救いを求めています。栞さんが何を望んでいるかは分かりませんが、祐一さんならきっと栞さんの支えになれるはずです。
 このままですと栞さんは取り返しの付かない過ちを犯してしまう。佐祐理はそんな気がしてなりません。ですから祐一さん、どうか栞さんの力になってあげてください……!!」
「佐祐理さん……。分かりました、舞先輩をよろしく頼みます」
 理由は分からない。けど、確かに俺の目にも栞は何かしらの救いを求めているように映った。一体栞が何を求めているのかは俺には分からない。でも、俺如きで力になれるのなら、少しでも力になってやりたい。そう思い、俺は栞の後を追った。



(栞、一体どこにいるんだ!?)
 俺は屋上から急いで駆け降り、栞の後を追った。中庭を探すが栞の姿は見当たらない。きっとあのまま帰路に就いたのだろうと、俺は校門から校舎外へ出た。
(一体どこに行ったんだ?)
 校門の先は三方向に道が分かれている。右手側を進むといつもの通学路に出、左側は学校の校庭側へと通じている。正面の道はどこに通じているか分からない。
(ん? あれは!?)
 左右のどちらかに向かっていれば辛うじて後を追えるが、正面の道に走ってたら探しようがない。まだそう遠くには行ってないはずだからと、三方をキョロキョロと見回す。すると、右手側の先に息を切らしながら胸に手を当て、苦しみ悶えながらしゃがみ込んでいる栞の姿が映った。
「し、栞ちゃん!!」
 俺は栞の名を叫びながら、俊足で彼女の元へ駆け付けた。慣れない雪道に滑り転びそうになるのを承知で俺は駆け付けた。今俺が行かなきゃ、彼女を支えてやらなきゃ佐祐理さんが行ったように取り返しのつかないことになりかねない。俺に迷っている暇はなかった。
「はぁはぁ……たったこれだけの距離で私の身体は息を切らすの……? 情けない、どうして自分の身体はこうまで……」
 栞に近付くと、彼女の息遣いが聞こえて来た。苦しみながらも栞は囁いていた。限界に達した身体の苦しみではなく、この程度のことで息を切らす己の不甲斐無さを。
「栞ちゃん、大丈夫!?」
 俺は栞の眼前に屈み込み、栞の両肩にそっと手を置いた。こうすれば少しでも栞の苦しみが和らぐと思ったから。
「祐一さん、私を追って来てくれたんですか?」
 苦しみながらも、驚いた顔で栞は俺を見つめた。
「ああ。あのまま栞を帰しちゃ行けない気がして。辛そうだけど、大丈夫? ダメっぽかったら俺が家まで送って行くから」
「いえ、結構です……。でも、ある所へ連れてっていただけませんか?」
「ある所って?」
「私が祐一さんと初めて出逢った、あの公園です……」



 栞の話だと、例の公園は普段の通学路を曲がらず、真っ直ぐ進んだ先にあるという。俺は栞の身体を気遣う為、栞を背負って公園を目指した。
「栞ちゃん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。祐一さんの背中、お兄さんみたいで温かいです……。少し、眠ってもいいですか?」
「疲れてるなら別に構わないけど?」
「別に疲れてませんけど、お言葉に甘えて公園に着くまでの間寝させていただきます」
 正直自分の背中の居心地の良さなんて分かりようがない。けど、栞は俺に背負われることに安堵感を覚えたようで、言葉通り軽い眠りに入っていった。
 恋人でも友達でもない、まだ数回会っただけの関係。それだけの関係に過ぎない栞をこうして背負い、二人きりで公園に行こうとする俺。他人から見れば節操のない手の早い男だと揶揄されることだろう。
 栞は公園に連れてってと言ったけど、おぶって欲しいとまでは言ってない。でも、あの苦しんでいる栞の姿を見たら、自然と身体が動いた。自ら進んで栞を背におぶった。栞がその行為に嫌悪感を抱かないというのもあったが、俺は何の抵抗もなく栞を背負いながら歩き出した。
 真琴の時もそうだが、何で自分がそう親しくもない少女に対して献身的な態度で接するのかが理解できない。敢えて言おうなら、苦しんでいる少女を助けたくなるのが俺のさがだというところか。



 俺は例の公園に着くと、あゆと三人でたい焼きを食べた休憩所の椅子に、ゆっくりと栞を背中から降ろし腰掛けさせた。
「栞ちゃん、着いたよ、着いたよ」
 俺は腰掛けさせた後、栞の肩を軽く揺らしながら小声で囁いた。
「ん……祐一さん、おはようございます……」
 2,3回呼びかけると、栞は目を擦りながら目覚めた。
「やれやれ。昼なのに『おはようございます』はないだろ? 昼は『こんにちは』だろっ?」
 などと、名雪っぽく栞に話しかけてみる。
「ふふっ、そうですね。祐一さんのお背中で眠ったまま朝を迎えられたらどんなに幸せだろうと思ったら、自然と『おはようございます』って言ってしまいました」
 そう栞は自然な笑顔で声をかけてきた。舞先輩と対峙した時は必死な形相をしていたけど、こうやって笑顔を見ていると、可愛い後輩にしか見えないな。
「栞ちゃん、あのっ」
「何ですか、祐一さん」
「えっと、そのっ……。栞ちゃんはどんな趣味を持っているのかな?」
 俺は一体屋上で舞先輩に何を頼んでいたんだと問い掛けようとしたのをギリギリの所で飲み込み、無難な質問に切り替えた。
「そうですね。漫画にアニメにゲーム、それにネットと言ったところでしょうか?」
「はい? それって……」
「俗に言う“ヲタク的趣味”と言ったところです」
「は、はは……そうなの……」
 う〜〜ん、女の子だからファッションとかアイドルとか答えが返ってくると思ってたけど。まあ、多少なりともそっちの世界に足を突っ込んでなきゃ、サガネタで会話が成立しないもんなぁ。
「あっ、言っときますけど、ヤヲイ趣味はありませんから安心してください」
「あ、ああ……」
 い、いやヤヲイっていう言葉を普通に知っている時点で、既に腐女子っぽいんだけど……。
「じゃ、じゃあさ、普段はどんな漫画読んだりするの? やっぱり少女漫画?」
「そうですね。少女漫画も読みますけど、ほとんど少年誌ですね」
「へっ? 少年誌というと……」
 何か、女の子の口から少年誌と聞くと、あまりいい想像しないんだけど……。
「祐一さん、今何かヘンな想像しませんでしたか?」
「えっ? いや……」
「ジャンプは毎週欠かさず読んでますけど、別にゾロ×サンジとか社長×闇遊戯とかの本は持ってませんから」
「は、ははっ……そうだよね、そうだよね……」
 俺は図星を突かれたことを隠そうと、必死に作り笑いした。
「今私が、『ワハハハハハハハ〜〜! 喰らえ遊戯っ! これがオレのオベリスクだ!! や、やめろっ、海馬!! 海馬は抵抗する遊戯の後ろの穴に、いきり勃った自らのオベリスクを挿入した。』なんて本を読んでるって想像しましたね?」
「……」
 そ、そんな具体例を出されると本当に持ってるんじゃないかって疑ってしまうんだけど……。
「そんなこと想像する人、嫌いです」
「う、うぐぅ……」
 俺はもう、某食い逃げ少女のように苦笑するしかなかった。
「ふふっ、ふふふふふっ……」
「ど、どうしたの、栞ちゃん」
「ふふっ、だって祐一さん、『うぐぅ』って、あゆさんの口癖を真似るんですもの。ふふふっ」
 栞はどうやら俺があゆの口癖を真似たのがツボにハマッたらしく、口元に右手を軽くかざしながら笑い続けた。
「本当にお二人は仲がよろしいんですね。ちょっぴり妬けるかもしれません」
「妬けるなんて大げさだな。俺とあゆが恋仲にでも見えたのか?」
「はい。とっても仲の良い恋人同士に映りましたよ、私の目には」
「ははっ、前にも同じこと言われたなぁ。当の俺自身はあゆを恋人なんて思ってないんだけど」
 何と言うか、本当に俺はあゆのことを幼馴染みだとか妹くらいの感覚でしか見ていない。からかうと楽しい奴であるのは間違いないが、とてもではないが達矢のような恋心は抱いていない。
「で、具体的にはどんな漫画を読んでいるわけ?」
 俺は話を戻し、栞にどんな漫画を読んでいるのか訊ねた。
「そうですね。『聖闘士聖矢』とか『ドラゴンボール』とか、ジャンプ系が好きですね」
「ジャンプ系かぁ。やっぱりそっちの趣味があるんじゃない?」
「だから、ないですったら〜〜」
「はははっ、冗談、冗談だって」
 栞をヤヲイネタで攻めると面白いので、ついついからかってしまう自分がいる。
「もうっ、『女の子がジャンプを読む=ヤヲイ好き=腐女子』という図式は、短絡的で偏見に満ちたものですよ」
「はははっ。しかし、そっち系に興味がないのにジャンプ系が好きっていうのはどういうわけ?」
「そうですね。ジャンプの主人公達って、『ドラゴンボール』に代表されるように、インフレでドンドン強くなっていくじゃないですか。あの際限ない、人智を超えた圧倒的な強さが好きなんですよ」
 ジャンプのインフレ展開を嫌う人もいるが、俺はそんなに嫌いじゃない。確かに後付設定で悟空がサイヤ人になった後、地球人が作品のインフレについていけなくなったことには多少批判的だが、それでも当時はドンドン強くなっていく悟空に羨望と憧れを抱いたものだった。
「大概の男の子は『ドラゴンボール』を読むと、一度は空を飛んだり、かめはめ波を撃ったりしたいと思うことがあるけど、栞ちゃんにもそういうのはある?」
 自分も小学生時代、孫悟空のように空を飛んだり、かめはめ波を撃ったりしたいと願い、かめはめ波のポーズを真似たりスーパーサイヤ人ならぬスーパー地球人になろうと“気”の鍛錬に励んだりしたものだ。
 栞のような女の子もそういった願望を抱くのだろうかと、俺は訊ねてみた。
「そうですね。石仮面が欲しいなって思ってますね」
「えっ!? 石仮面って、ジョジョのあの?」
「はい。被ると吸血鬼に成れるアレです」
「……」
 今のはまた軽い冗談なのだろうか。俺は栞の発言に暫し言葉を失った。
「それは“超人”になりたっていう意味? でもそれだと普通は波紋使いになりたいって答えそうなところだけど……」
 そう、人智を超えた存在という意味では、普通は波紋使いの方をあげるはずなのだ。何故ならば、吸血鬼とは人の血を吸いながら生き続ける“悪鬼”だからだ。誰だって普通なら、鬼になってまで超人的な能力を手に入れたいとは思わないはずだ。
「分かってませんね、祐一さん。波紋使いには類稀な才能や資質に恵まれ、尚且つ血の滲むような努力をしないとなれないんですよ。そんなのに、私みたいなか弱い女の子がなれるわけないじゃないですか」
「まあ、それは確かにそうかもしれないけど……」
「その点石仮面は、被りさえすれば“誰だって吸血鬼に成れる”んですよ。そこには天賦の才も努力もいらない。誰もが平等に人智を超えた存在に成れるんですよ! これって素晴らしいことだと思いません?」
「いやでも、吸血鬼は人間の血を……」
「それがどうかしましたか?」
「えっ!?」
 俺は人の血を吸う悪鬼になるというデメリットがあるのではと聞き返そうとしたが、栞はまるでそんなの些細な問題にすらならないという感じに、あっさりと俺の言葉をかわした。
「祐一さん。人間はおろか地上のあらゆる生物は、他の生物の“命を喰らって”生きてるんですよ。血を吸うという行為も命を喰らう行為に該当しますし、何より血を吸って自身の生存を図っている生物は地球上にたくさんいます。
 吸血鬼は人間の血を吸いこそすれ、特筆すべきは人類の脅威という主観的な一点のみで、あとは人智を超えた存在とはいえ単なる一生物に過ぎません。
 それに、人間だって自分より下等な生物を喰らっているんですから、吸血鬼が自分より下等な人間の血を吸うのは、何ら問題ありません。人間に吸血鬼に抵抗する権利はありますが、吸血鬼にも人間の血を吸う権利がある。ただそれだけのことです」
「し、栞、本当に君は、君はそんな人間外のモノになりたいのか……?」
 悪い冗談であって欲しい、今までの栞の言動は全部冗談であって欲しいっ……。だってこれじゃ栞はまるで、自らの美貌を維持する為に若い少女を虐殺し続けたエリザベート・バートリのような悪女になりたいって言っているようなものじゃないか!!
「はい。なれるものなら、なってみたいですね」
 けど、栞の答えはあまりに残酷だった。栞、一体君は何があってそんな言動を放つようになったんだ……。



「栞……」
「ゆっ、祐一さんっ……」
 私は唐突に栞を抱きしめた。
「栞、何が君をそこまで追い詰めてるんだ!? もし、何か悩み事や辛いことがあるなら、私が力になる! だから、吸血鬼になるだなんて言わないでくれ!!」
 口に出さなくとも感覚で分かる。佐祐理さんの言うように、今の栞は悩みを抱え救いを求めている。ならば私は、自分のできる範囲で栞を救ってやりたい。こんな笑顔の可愛い少女を不幸などにしてたまるものか!!
「祐一さん、本当にあなたという人はどこまでも優しいお方なんですね……。でも、多分、祐一さんではどうにもならないと思います。川澄さんでも無理だったことが祐一さんにできるとは思えません」
「栞、そんなっ!」
「でも、一つだけ祐一さんにお願いしてもいいですか?」
「ああ! 一つと言わずいくつでもいい。私はどんなことでも栞の力になる!!」
 実際にはどんなことでもとはいかないだろう。でも、そうでも言わないと栞は一人で後戻りの効かない闇の道へ足を踏み込んでしまうような気がしてならない。それを食い止めることが可能なら、私はどんなことでも栞の力になる!
「じゃあ、約束してください。私を祐一さんの妹第一候補にしていただけませんか……?」
「妹? 恋人じゃなく?」
「はい。祐一さんの恋人の地位はもうあゆさんで確定だと思いますから。私は固い絆で結ばれたお二人の間を引き裂こうとするほど悪い女ではないですから。
 でもその代わり、祐一さんの一番の妹でいさせてください。こんな願い、ダメでしょうか……?」
「ああいいさ。栞、君が私にとって一番大切な妹だ」
 それが栞の、何よりの心の支えになるなら、私に迷っている暇はなかった。私は二つ返事で栞の願いを聞き入れた。
「はい、ありがとうございます、祐一さん、いえ、お兄さん……。栞はお兄さんの心の支えがあれば例えどんな困難に苛まれようとも、悪鬼にならずに人としてあり続けます……」
 義兄妹の誓いを立て、私と栞は別れた。栞は自宅へ、私は学校への道を歩んだ。
 この時私は自覚すべきだった、自分を兄として慕おうとする少女は栞一人ではないことを。そして栞の為にと約束したことが、後々栞を大いに傷付けることになるとは、この時の私は知る由もなかった……。



「あの……電話番号はこちらで間違いありませんね……」
「ええ、間違いないわ。失礼だけど、あなたのお名前と通院している病院名を言ってくれないかしら?」
「はい。名前は……で、病院は……です」
「少し待ってね。…………。お待たせ、本人の確認は取れたわ。さて、ここに電話をかけてきたってことは……クスクスクス、それは説明するまでもないわね」
「はい。お医者さんから密かに言い渡された、どんな末期症状すらも感知できる夢の特効薬、“仙命樹”に関して詳しくお話いただけませんか?」
「ええ、構わないわよ。仙命樹は言葉通り仙人のような超越的な命を得られる薬よ。一応厚生省に認可されている薬だから、その点は心配する必要はないわ」
「じゃ、じゃあ、もう手の施しようもない医者がさじを投げたような病気でも治るんですね」
「ええ。ただし、服用者は必ずといっていいほど激しい副作用に襲われるわ」
「えっ!? 副作用って」
「仙命樹は仙人になれる薬でもあるけど、下手をすれば副作用で鬼になる薬でもあるのよ」
「鬼、ですか……?」
「ええそうよ。人のハラワタを食い千切る鬼に。仙命樹の副作用はそこまで強烈なのよ。本来ならこんな劇薬認可が下りないところなんだけど、薬害エイズ問題で手を焼いている厚生省にエイズも治せる薬だって囁いたら、彼等嬉々として認可をおろしたわ。クスクスクス、クスクスクスクスクス……」
「……」
「私達は決して強制しないわ。もし貴女が怖じ気づいて仙命樹に手を出したくないならそれはそれで構わない。さあ、後は貴女の決断次第よ、“美坂栞”ちゃん……」
「あの……一つ訊いてもよろしいですか?」
「ええ、構わないわよ……」
「例え副作用で鬼になったとしても、病気は治るんでしょうか?」
「ええ。治るわよ。仙人と鬼の違いは正気でいられるか否かだけで、例えどちらになろうとも人智を超えた存在になれるのは間違いないわ」
「分かりました……。病気が治るのなら例え鬼になろうとも私は構いません。私に仙命樹を売ってください!!」
「クスクスクス、強い意志を持っているようね、栞ちゃん。それほどの強い意思を持っていれば、貴女は仙人になれるかもね」
「あ、ありがとうございます……」
「それと、薬代は一切いらないわ。その代わり仙人になったにしろ鬼になったにしろ、投薬後の経過を見るために私たちに協力してもらうことになるわ。その点は大丈夫かしら?」
「はい、問題ありません。病院生活には慣れてますから……」
「分かったわ。それじゃあ早速仙命樹をあなたの家に送るわ。2,3日には届くだろうから、楽しみに待っていてね。あと当然ながらこのことは他言無用よ。どこで私達の尻尾を掴もうとする輩が側耳立ててるか分からないからね。クスクスクスクス……」
「はい。何から何までどうもありがとうございました。では、失礼します……」
 ガチャリ……
(……。川澄さんが頼りにならない私には、もうこの道しか……。祐一お兄さん、どうか私を見守っていてください……)



「君も酷な人だな。仙命樹により超人に成れるのは1%未満。それ以外は2〜3%が理性を持たぬ狂人に、そして残りは超人にも狂人にも成れず、体内に入った仙命樹を追い出そうと“喉を掻っ切って自殺”していることを話さんとは」
「あらあら、だって彼女、成功率までは訊いてこなかったもの。わざわざこちらが不利になるようなことは普通言わないものでしょ?」
「それはそうだが」
「それに、仙命樹を与えなかったら彼女に待っているのは確実な死なんだから。どの道死ぬ運命なら、例え1%未満でも生存できる機会を与えてあげるのが慈悲ってものよ。クスクスクス」
「しかし、大丈夫なのか。データに寄れば彼女の姉は現役の應援團。應援團の身内に手を出したとなっては、“菊花”の連中が黙っていないぞ」
「ケッ、くだらねぇ! 戦後のぬるま湯で育ったサバイバルマニアのお遊び特殊歩兵部隊に、我等が大日本帝國陸軍特殊歩兵部隊が負けるものかよ! 奴等が牙を剥いたら、まとめて俺が返り討ちにしてくれるわ!!」
「貴様の気持ちも分からんでもないが、今は拳を押さえろ。今下手に決起すれば、我々は国賊扱いを免れんぞ!」
「ケッ! んなことは分かってるっつうの!!」
「クスクスクス。確かに先生たち、“おじいちゃんが造った強化兵”が、自衛隊の菊花如きに負けるとは思えないわね。私が多少のリスクを考慮してまで彼女に仙命樹をあげるのは、あの娘の動向を探りたいからよ」
「そうか、そういえば彼女も今あの高校に通っているのだったな。我々が直接手を出さずに、彼女の能力を見極めようということなのだな」
「そういうこと。さあ、お手並みを拝見させてもらうわよ、“舞花”ちゃん。あなたがお姉ちゃんと同じ、“オヤシロさまの生まれ変わり”かどうかを……。クスクスクス、クスクスクスクスクスクス……」

…第弐拾四話完


※後書き

 え〜〜、今回も日常会話が書けないので、ヲタネタに走ってしまいました。ちなみに、栞は否定してるけどヤヲイ同人持ってるっていう設定です(笑)。
 さて、最後に出て来た謎の勢力ですが、実の所「Kanon傳」時代から存在していたのですよね。一応「Kanon傳」で某キャラを殺したのはこの勢力だっていう設定でした。当時は元ネタのゲームもやっていなかったので、具体的には書かなかったのですがね。
 ここ数話は修羅場って来ている感がありますが、次回は久々にほのぼのとした話になると思います。

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